Wed
30
08/2006
私は高校生の頃に「風の谷のナウシカ」漫画版を読みました。とても面白くて何度も読みましたが、結末にだけは納得がいきませんでした。そのことについて記した感想録が見つかったので、備忘録として掲載します。
【1994年09月】
「風の谷のナウシカ」漫画版のラストからは、「人類の愚かさの現状肯定」という下らない主張しか伝わってこない。
本作では、王蟲や腐海などの汚れた世界環境は、全て旧世界の人類(旧人類)が仕組んだ浄化プログラムだったという設定になっている。ナウシカら人類も、汚れた世界環境でのみ生きられるように改造を施されているのだ(浄化後の世界では生きられない)。
そして旧人類の遺産であるシュワの墓所には、浄化後の世界で生きられる「憎しみを知らない穏やかな新人類」と「人類が蓄積した技術・文化」が封印されていた。浄化後は彼らが人類の第二の復興期を担い、ナウシカら人類は滅亡することとなっていたのだ。
ラストで、ナウシカはシュワの墓所の主と対決し、「新人類」と「技術・文化」を滅ぼす。「私達は生きねばならない」とつぶやきながら。私はこの結末について、下記の2点から賛同しない。
(1) 「人類の愚かさ」を現状肯定する無意味さ
墓所の主は、「愚かしく凶暴な人間を、賢明で穏やかな人間に進化させるべき」と主張する。それに対してナウシカは、「人間は清いばかりの生き物ではない、清濁あわせもつ存在だ」と拒否している。
確かに人間は清いばかりの生き物ではない。殺戮と破壊を繰り返すどうしようもなく愚かな生き物だ。
一方で、人類は先進性に富み、現状打破に挑戦する進歩性・賢明さも持っている。例えば帝国主義時代に比べて、現代は戦争が起きにくい国際システム(経済相互依存関係など)が構築されているが、これなどは人類の進歩性と言えよう。
ナウシカの「人間は清濁あわせもつ存在」という主張は、確かに事実ではある。しかし滅亡に瀕した状態で主張して意味がある内容ではない。それはただの「人類の愚かさ」の現状肯定であり、下らない一般論だ。「進歩性・賢明さ」という人類の良さに対する拒絶でもある。
たとえ「人類の傲慢だ!」と批判されようとも多少の問題があろうとも、墓所の主は「人類の進歩性・賢明さ」に属する主張を行っている。それに対してナウシカは「人類の愚かさ」を言い訳とした評論を行った。
私は人類の一員として、ナウシカの「人類の進歩性・賢明さ」を否定する主張には賛同できないし、人類滅亡に無為無策で臨もうと呼びかける無責任さも肯定できない。
(2) 人類滅亡を甘受する無責任さ(虚無)
ナウシカがシュワの墓所を破壊したことにより、浄化後の世界を生きられる新人類は滅亡した。それを尻目にナウシカは「私達は生きねばならない」と能天気なことを言っている。
結論から言おう。この後のナウシカら人類は、ほぼ確実に滅亡しているであろう。
例えばこれまでの地球46億年の歴史の中では、数々の大絶滅(オルドビス紀/デボン紀/ペルム紀/三畳紀/白亜紀)が起きてきた。それでも現在の地球にはこれほどの生命が満ち溢れているので、環境激変ぐらいはなんとかなると思われるかもしれない。
しかしそれぞれの大絶滅では、90〜99%の生物が絶滅しているのだ。生き残った種は、もともと異変後の環境に耐性があった種や、突然変異で適応することができた種のみと考えられている。ナウシカら人類の場合は、浄化後の世界に耐性はないと記述されているので、あとは突然変異の可能性にすがるしかない。しかし、突然変異が起きる可能性などごくわずかだ。
つまりナウシカは「生きねばならない」と言いながら、ほぼ確実に人類が絶滅する行動をとっているのだ。これほど無責任なことはないだろう。
ちなみにナウシカは、「自然が人類の絶滅を望むのならば仕方ない。自然を犠牲にしてまで生き残ろうとするのは人類の傲慢だ」という矛盾した趣旨の発言もしている。しかしそれこそ無知と傲慢に溢れた発言だ。人間は古来から他生命を捕食・犠牲にして生きてきており、すでに「業」を抱えている。それに気付かないふりをして、今さらそんなことを言い出すのはただの偽善だし、自然を愚弄しているととられても仕方がないだろう。
長くなったが、「風の谷のナウシカ」漫画版のラストからは、「人類の愚かさの現状肯定」という下らない主張しか伝わってこないし、無意味かつ無責任な結末である。大変残念である。
【1994年09月】
「風の谷のナウシカ」漫画版のラストからは、「人類の愚かさの現状肯定」という下らない主張しか伝わってこない。
本作では、王蟲や腐海などの汚れた世界環境は、全て旧世界の人類(旧人類)が仕組んだ浄化プログラムだったという設定になっている。ナウシカら人類も、汚れた世界環境でのみ生きられるように改造を施されているのだ(浄化後の世界では生きられない)。
そして旧人類の遺産であるシュワの墓所には、浄化後の世界で生きられる「憎しみを知らない穏やかな新人類」と「人類が蓄積した技術・文化」が封印されていた。浄化後は彼らが人類の第二の復興期を担い、ナウシカら人類は滅亡することとなっていたのだ。
ラストで、ナウシカはシュワの墓所の主と対決し、「新人類」と「技術・文化」を滅ぼす。「私達は生きねばならない」とつぶやきながら。私はこの結末について、下記の2点から賛同しない。
(1) 「人類の愚かさ」を現状肯定する無意味さ
墓所の主は、「愚かしく凶暴な人間を、賢明で穏やかな人間に進化させるべき」と主張する。それに対してナウシカは、「人間は清いばかりの生き物ではない、清濁あわせもつ存在だ」と拒否している。
確かに人間は清いばかりの生き物ではない。殺戮と破壊を繰り返すどうしようもなく愚かな生き物だ。
一方で、人類は先進性に富み、現状打破に挑戦する進歩性・賢明さも持っている。例えば帝国主義時代に比べて、現代は戦争が起きにくい国際システム(経済相互依存関係など)が構築されているが、これなどは人類の進歩性と言えよう。
ナウシカの「人間は清濁あわせもつ存在」という主張は、確かに事実ではある。しかし滅亡に瀕した状態で主張して意味がある内容ではない。それはただの「人類の愚かさ」の現状肯定であり、下らない一般論だ。「進歩性・賢明さ」という人類の良さに対する拒絶でもある。
たとえ「人類の傲慢だ!」と批判されようとも多少の問題があろうとも、墓所の主は「人類の進歩性・賢明さ」に属する主張を行っている。それに対してナウシカは「人類の愚かさ」を言い訳とした評論を行った。
私は人類の一員として、ナウシカの「人類の進歩性・賢明さ」を否定する主張には賛同できないし、人類滅亡に無為無策で臨もうと呼びかける無責任さも肯定できない。
(2) 人類滅亡を甘受する無責任さ(虚無)
ナウシカがシュワの墓所を破壊したことにより、浄化後の世界を生きられる新人類は滅亡した。それを尻目にナウシカは「私達は生きねばならない」と能天気なことを言っている。
結論から言おう。この後のナウシカら人類は、ほぼ確実に滅亡しているであろう。
例えばこれまでの地球46億年の歴史の中では、数々の大絶滅(オルドビス紀/デボン紀/ペルム紀/三畳紀/白亜紀)が起きてきた。それでも現在の地球にはこれほどの生命が満ち溢れているので、環境激変ぐらいはなんとかなると思われるかもしれない。
しかしそれぞれの大絶滅では、90〜99%の生物が絶滅しているのだ。生き残った種は、もともと異変後の環境に耐性があった種や、突然変異で適応することができた種のみと考えられている。ナウシカら人類の場合は、浄化後の世界に耐性はないと記述されているので、あとは突然変異の可能性にすがるしかない。しかし、突然変異が起きる可能性などごくわずかだ。
つまりナウシカは「生きねばならない」と言いながら、ほぼ確実に人類が絶滅する行動をとっているのだ。これほど無責任なことはないだろう。
ちなみにナウシカは、「自然が人類の絶滅を望むのならば仕方ない。自然を犠牲にしてまで生き残ろうとするのは人類の傲慢だ」という矛盾した趣旨の発言もしている。しかしそれこそ無知と傲慢に溢れた発言だ。人間は古来から他生命を捕食・犠牲にして生きてきており、すでに「業」を抱えている。それに気付かないふりをして、今さらそんなことを言い出すのはただの偽善だし、自然を愚弄しているととられても仕方がないだろう。
長くなったが、「風の谷のナウシカ」漫画版のラストからは、「人類の愚かさの現状肯定」という下らない主張しか伝わってこないし、無意味かつ無責任な結末である。大変残念である。
Comments
記事もコメントも読ませていただきました。
こういう問題は簡単に答えが出せるようなものではないと思うのと、
人それぞれに違った生命観があるのだという事を踏まえ
感慨深く読ませていただきました。
私はというと、墓所の主の方に違和感を感じました。
まず、命を作りかえようという行為に。
人間は愚かではありますが、それだけではないので
生命が「清濁あわせもつ」ということは、
当たり前すぎて、実は人が忘れがちな観点だと思いますし
ストーリー上には色々問題もありますが
まず生命の本質を見て、そこから出発しないことには
土台が無いのと同じだと思いましたから。
そこに気づかせてくれた作品だと思います。
墓所の主の言うことも、人類としてもっともだと思います。
が、私はナウシカ側につくと思います。
おそらくは宇宙の法則
「始まりがあるものには全て終わりがある」
という意見はよくわかります。
命が命らしく在った上で、滅びていくこともあるのでしょうね。
これが宮崎監督の言う「澄んだ虚無」なのでしょうかね。
現実で言うなら、
地球環境が人間によって壊滅させられる、なんて
本当なんでしょうかね。
シンガーのビョークが生まれ育ったアイスランドの
雄大な自然について語ったとき、
「人間が環境を破壊してるなんていうけど
はぁ?って感じだもんね。人間なんてちっぽけなもので
地球がちょっと体を振るわせればひとたまりもないようなもの
だから私はちっとも気にしてないの」
というような意見を言っていたっけ。
なんだか、わかる気がします。
わざわざ人間を作りかえなくとも、私たち人間は
本当の自然の前には無力だと思いますから。
ちょっとナウシカの作品世界の話とずれてしまいましたか。
こういう問題は簡単に答えが出せるようなものではないと思うのと、
人それぞれに違った生命観があるのだという事を踏まえ
感慨深く読ませていただきました。
私はというと、墓所の主の方に違和感を感じました。
まず、命を作りかえようという行為に。
人間は愚かではありますが、それだけではないので
生命が「清濁あわせもつ」ということは、
当たり前すぎて、実は人が忘れがちな観点だと思いますし
ストーリー上には色々問題もありますが
まず生命の本質を見て、そこから出発しないことには
土台が無いのと同じだと思いましたから。
そこに気づかせてくれた作品だと思います。
墓所の主の言うことも、人類としてもっともだと思います。
が、私はナウシカ側につくと思います。
おそらくは宇宙の法則
「始まりがあるものには全て終わりがある」
という意見はよくわかります。
命が命らしく在った上で、滅びていくこともあるのでしょうね。
これが宮崎監督の言う「澄んだ虚無」なのでしょうかね。
現実で言うなら、
地球環境が人間によって壊滅させられる、なんて
本当なんでしょうかね。
シンガーのビョークが生まれ育ったアイスランドの
雄大な自然について語ったとき、
「人間が環境を破壊してるなんていうけど
はぁ?って感じだもんね。人間なんてちっぽけなもので
地球がちょっと体を振るわせればひとたまりもないようなもの
だから私はちっとも気にしてないの」
というような意見を言っていたっけ。
なんだか、わかる気がします。
わざわざ人間を作りかえなくとも、私たち人間は
本当の自然の前には無力だと思いますから。
ちょっとナウシカの作品世界の話とずれてしまいましたか。
こんにちは。
ひとつ付け足させていただきますと、
シュワの墓所は恣意によって動いています。
シュワの墓所は後世の人間に技術や典籍を用意してくれるだけの存在ではなく、浄化された世界に生きるはずの新人類の便宜を計るためなら、今の人類をそそのかし騙し一部の人間(王)と結託する存在です。
シュワの墓所は作中で何をしていたでしょうか?
死ぬ間際の皇兄の言葉からすると、使用した側の勢力にさえ破局を引き起こす粘菌兵器を皇弟にすすめ、そしらぬ顔で大海嘯を待っていたのは墓所自身です。
墓所を制することなくば人類が墓所に制される、そんな緊迫した局面にナウシカがいたわけですから、私は彼女の墓所内での行動・言動に全面的に賛成しています。
「無意味かつ無責任な結末」のラストだったというご指摘ですが、
責任と意味は墓所の無くなった世界で今これから挑戦されるべきことだと考えては如何ですか?
墓所におけるナウシカの発言はあくまで墓所に対して向けられたものでありまして、
墓所内の発言がナウシカの結論のすべてだとは思いません。
墓所に対するナウシカの発言を、ナウシカの結論のすべてだと早計に決め付けては、西内伊織さまのように残念な評価を下されてしまうだけなので、残念に思っています。
宮崎さんは7巻で筆を折られてしまいましたが、ナウシカの長い人生はこれからはじまるのですから。
それと蛇足ですが墓所が滅亡しても、「庭」や他の遺産が残っておりますので、腐海と共存して毒のある世界に人類が生きていく道筋はエピローグでも示されていると思います。
腐海が全世界に広がりきらない限り、毒が地球から消えることもないでしょう。
人類はずっと毒といっしょに生きていることができるのです。
ひとつ付け足させていただきますと、
シュワの墓所は恣意によって動いています。
シュワの墓所は後世の人間に技術や典籍を用意してくれるだけの存在ではなく、浄化された世界に生きるはずの新人類の便宜を計るためなら、今の人類をそそのかし騙し一部の人間(王)と結託する存在です。
シュワの墓所は作中で何をしていたでしょうか?
死ぬ間際の皇兄の言葉からすると、使用した側の勢力にさえ破局を引き起こす粘菌兵器を皇弟にすすめ、そしらぬ顔で大海嘯を待っていたのは墓所自身です。
墓所を制することなくば人類が墓所に制される、そんな緊迫した局面にナウシカがいたわけですから、私は彼女の墓所内での行動・言動に全面的に賛成しています。
「無意味かつ無責任な結末」のラストだったというご指摘ですが、
責任と意味は墓所の無くなった世界で今これから挑戦されるべきことだと考えては如何ですか?
墓所におけるナウシカの発言はあくまで墓所に対して向けられたものでありまして、
墓所内の発言がナウシカの結論のすべてだとは思いません。
墓所に対するナウシカの発言を、ナウシカの結論のすべてだと早計に決め付けては、西内伊織さまのように残念な評価を下されてしまうだけなので、残念に思っています。
宮崎さんは7巻で筆を折られてしまいましたが、ナウシカの長い人生はこれからはじまるのですから。
それと蛇足ですが墓所が滅亡しても、「庭」や他の遺産が残っておりますので、腐海と共存して毒のある世界に人類が生きていく道筋はエピローグでも示されていると思います。
腐海が全世界に広がりきらない限り、毒が地球から消えることもないでしょう。
人類はずっと毒といっしょに生きていることができるのです。
コメントへのご返事ありがとうございます。
それはその通りです。火の7日間は戦争です。巨神兵を使った世界規模の戦争だったと思います。それによる文明の崩壊はすさまじいものだったでしょう。確かに墓所の主により生み出される新人類なら戦争はおきないかもしれません。おそらくそのように設定されているのでしょう。なにも戦争をしろといっているわけではありません。競争のすべてが戦争ではないですし。
言葉足らずでした。ナウシカたちが「なんとかなる」のではなく、新しい時代の人間が「どうにもならない」のだと思ったのです。ナウシカたちがこれからこの状況を打開できるかどうかはわかりません。西内さんの意見のように滅んでしまうかもしれないし、またはなにか方法を見つけて生きていくかも知れない。物語には書かれていません。が、穏やかでしかない人間はだめだと思います。進歩しないのは後退するのと同じことです。滅びるのを少し遅らせるだけではないでしょうか?
西内さんに聞きますが、もし人間が生きる道は一つしかなく、それによって自分たちはあらたな人類に交換される。穏やかだが生命としては不自然である人間に。それを防ぐには墓所の主を破壊するしかない。その手段はもっている。どうでしょう?その選択を任されたときどちらを選びますか?
僕はこの掲示板に書き込みをさせていただき、よくナウシカについて考えました。そして思ったことが1つあります。人類は生きすぎたのではないかということです。墓所の主とナウシカの対決では、どちらを選んでも人類は滅びたのではないでしょうか。地球の長い歴史では生物が繁栄し、滅びを繰り返してきました。人間の営みもその類にはいるはずですから、いつか滅びのときが来るはずです。よくありますね。「始まりがあるものには全て終わりがある」。なんだか土鬼の古い教えみたいですが、ナウシカたちの世界ではついに人間にも滅びのときが来たのではないかとおもいます。今僕たちの生きている地球でも環境問題がさかんに叫ばれていますが、いつか僕たちにも滅びのときは来てしまうのでしょうかね・・・
それはその通りです。火の7日間は戦争です。巨神兵を使った世界規模の戦争だったと思います。それによる文明の崩壊はすさまじいものだったでしょう。確かに墓所の主により生み出される新人類なら戦争はおきないかもしれません。おそらくそのように設定されているのでしょう。なにも戦争をしろといっているわけではありません。競争のすべてが戦争ではないですし。
言葉足らずでした。ナウシカたちが「なんとかなる」のではなく、新しい時代の人間が「どうにもならない」のだと思ったのです。ナウシカたちがこれからこの状況を打開できるかどうかはわかりません。西内さんの意見のように滅んでしまうかもしれないし、またはなにか方法を見つけて生きていくかも知れない。物語には書かれていません。が、穏やかでしかない人間はだめだと思います。進歩しないのは後退するのと同じことです。滅びるのを少し遅らせるだけではないでしょうか?
西内さんに聞きますが、もし人間が生きる道は一つしかなく、それによって自分たちはあらたな人類に交換される。穏やかだが生命としては不自然である人間に。それを防ぐには墓所の主を破壊するしかない。その手段はもっている。どうでしょう?その選択を任されたときどちらを選びますか?
僕はこの掲示板に書き込みをさせていただき、よくナウシカについて考えました。そして思ったことが1つあります。人類は生きすぎたのではないかということです。墓所の主とナウシカの対決では、どちらを選んでも人類は滅びたのではないでしょうか。地球の長い歴史では生物が繁栄し、滅びを繰り返してきました。人間の営みもその類にはいるはずですから、いつか滅びのときが来るはずです。よくありますね。「始まりがあるものには全て終わりがある」。なんだか土鬼の古い教えみたいですが、ナウシカたちの世界ではついに人間にも滅びのときが来たのではないかとおもいます。今僕たちの生きている地球でも環境問題がさかんに叫ばれていますが、いつか僕たちにも滅びのときは来てしまうのでしょうかね・・・
>mimiさん
「切磋琢磨」や「技術向上」の結果が、火の七日間だったのでは?
とっくの昔に「今の人間達」で行き詰まったので、あの作品の登場人物達はあそこまで苦しんでいたのだと思いますが。あなたのおっしゃる通りなんとかなるのだったら、ナウシカの住む世界はあそこまでひどい状態には追い込まれていないはずですよね。
「切磋琢磨」や「技術向上」の結果が、火の七日間だったのでは?
とっくの昔に「今の人間達」で行き詰まったので、あの作品の登場人物達はあそこまで苦しんでいたのだと思いますが。あなたのおっしゃる通りなんとかなるのだったら、ナウシカの住む世界はあそこまでひどい状態には追い込まれていないはずですよね。
僕はこの意見に反対です。
墓所の主たち旧世界の人たちは新世界を滅ぼそうとしたのですよ?人間の生まれながらの人格を殺し、穏やかだがなんの人間味も無いロボットのような人間により支配される世界・・・そんな世界であればおとなしく作り変えられるのを待つ必要は無い。それどころか作り変えられたことで逆に人間は衰えてしまうのでは?と僕は思います。太古から人間は競争し、切磋琢磨しながら技術を身につけ生きてきた。穏やかな人間たちはそのようなことをするのか?いや、ただ向上意欲も無く現状を維持するだけではないか。そのままではいずれ滅びる。僕は今の人間たちで生きる道を見つけていけば良いのではと思います。旧世界の文明はすべて滅んでいるか?否、ペジテなどで巨神兵やエンジンなどを発掘しているようにまだ残っている技術がある。腐海がすべての毒を浄化し終え滅びるにはまだ時間があるはずだ。いろいろな可能性が残っているし、なにより今の人間には「進歩性」がある。いつか清浄の地でも生きていける術を見つけてくれるのではないかと信じています。
墓所の主たち旧世界の人たちは新世界を滅ぼそうとしたのですよ?人間の生まれながらの人格を殺し、穏やかだがなんの人間味も無いロボットのような人間により支配される世界・・・そんな世界であればおとなしく作り変えられるのを待つ必要は無い。それどころか作り変えられたことで逆に人間は衰えてしまうのでは?と僕は思います。太古から人間は競争し、切磋琢磨しながら技術を身につけ生きてきた。穏やかな人間たちはそのようなことをするのか?いや、ただ向上意欲も無く現状を維持するだけではないか。そのままではいずれ滅びる。僕は今の人間たちで生きる道を見つけていけば良いのではと思います。旧世界の文明はすべて滅んでいるか?否、ペジテなどで巨神兵やエンジンなどを発掘しているようにまだ残っている技術がある。腐海がすべての毒を浄化し終え滅びるにはまだ時間があるはずだ。いろいろな可能性が残っているし、なにより今の人間には「進歩性」がある。いつか清浄の地でも生きていける術を見つけてくれるのではないかと信じています。
私の怪しげなコメントにお返事いただきありがとうございます
墓所については私も「悪」の存在ではないと思います
ただ「善」でもないでしょう
墓所は保証とリスクの混沌であり
それを受け入れる社会によって使い方や善悪が決まるのだと思います
そしてこの作品の舞台となっているこの不完全な社会では
作中の粘菌のくだりに見られるように
一部の人間を豊かにするかわり
全生命に大きなリスクを負わせる気がします
恐らく旧人類も不完全な社会に生きていて
文明と社会との不均衡ゆえに黄昏の時代に突入したのでしょう
墓所の計画通りにいったとしても
人類を粘菌から救ってくれた王蟲たちは滅びるしかありません
「おだやかな人類」たちが暮らす清浄の世界は我々から見れば天国でしょうが
労働の喜びはヒドラたちに奪われ、不死であるが故に新鮮な感動のない
庭の主の言葉にある「つまらない」世界かもしれません
仕事で前回ポシャった案を途中から改変してやっぱりポシャる
という失敗を私は何度か経験しています
逆に失敗をふまえて一から作り直して成功した例もあります
この作品の世界が千年かけて君主制から違う社会システムに変化していくように
メーヴェを生んだような独自の文明もまた築かれていくのではないかと思います
それが真の意味での進歩ではないでしょうか
墓所については私も「悪」の存在ではないと思います
ただ「善」でもないでしょう
墓所は保証とリスクの混沌であり
それを受け入れる社会によって使い方や善悪が決まるのだと思います
そしてこの作品の舞台となっているこの不完全な社会では
作中の粘菌のくだりに見られるように
一部の人間を豊かにするかわり
全生命に大きなリスクを負わせる気がします
恐らく旧人類も不完全な社会に生きていて
文明と社会との不均衡ゆえに黄昏の時代に突入したのでしょう
墓所の計画通りにいったとしても
人類を粘菌から救ってくれた王蟲たちは滅びるしかありません
「おだやかな人類」たちが暮らす清浄の世界は我々から見れば天国でしょうが
労働の喜びはヒドラたちに奪われ、不死であるが故に新鮮な感動のない
庭の主の言葉にある「つまらない」世界かもしれません
仕事で前回ポシャった案を途中から改変してやっぱりポシャる
という失敗を私は何度か経験しています
逆に失敗をふまえて一から作り直して成功した例もあります
この作品の世界が千年かけて君主制から違う社会システムに変化していくように
メーヴェを生んだような独自の文明もまた築かれていくのではないかと思います
それが真の意味での進歩ではないでしょうか
>shinjaさん
お返事が遅くなり申し訳ありません。
確かにナウシカはいちかばちかに賭けたのかもしれませんね。それはそれで一つの選択肢なのでしょう。
ただ、「愚かなとこもある人間」が悪用する恐れがあるという理由で墓所を封印するというのは、すでに火を用いている自分達を棚にあげた行為であるようにも思えます。突き詰めると、退化の道しか辿れないように思います。
私がナウシカに違和感を感じるのは、人類の進歩性をも切り捨てているように思えるからなのかもしれませんね。墓所は決して「悪」の存在ではないはずなのですが・・・
お返事が遅くなり申し訳ありません。
確かにナウシカはいちかばちかに賭けたのかもしれませんね。それはそれで一つの選択肢なのでしょう。
ただ、「愚かなとこもある人間」が悪用する恐れがあるという理由で墓所を封印するというのは、すでに火を用いている自分達を棚にあげた行為であるようにも思えます。突き詰めると、退化の道しか辿れないように思います。
私がナウシカに違和感を感じるのは、人類の進歩性をも切り捨てているように思えるからなのかもしれませんね。墓所は決して「悪」の存在ではないはずなのですが・・・
通りすがりのナウシカ信者ですが一言
>この後のナウシカら人類は、ほぼ確実に滅亡しているであろう
とありますが、作品中には清浄の世界で
鳥(おそらく遺伝子組み換えではない)が飛んでいる描写などもあり
「いつかは人類も……」と楽観的な解釈もできます
ナウシカはそこに掛けたのでしょう
人様の作った安全そうなレールの上を
人様の作った安全そうなダイヤで運行する
これは果たして生きるという事なのか
種として自らの滅びを招いたのなら
種としてそれを全うしたい
攻略本を見ず 裏技に頼らず
全面クリアしたい(←謎!)
そんな感じだと思います
ナウシカは「人間の愚かさ」のみを肯定しているのではなく
「愚かなとこもある人間」を肯定しているのではないでしょうか
だからこそ「愚かなとこもある人間」が悪用する恐れのある
墓所の技術を封印したのでしょう
それに付随して新人類の種も絶滅させてしまってるわけですが
>人間は古来から他生命を捕食・犠牲にして生きてきており、すでに「業」を抱えている。
のであればしかたがなかったのかもしれません
ナウシカ自身がその「業」に対して後悔しているシーンも多く見受けられますので
>それに気付かないふりをして
という事はないと思います
(別の漫画で恐縮ですが「寄生獣10」の後藤vs新一でも語られるテーマ)
ちなみにナウシカが
「途中で会ったあの庭のヒドラに頼み込めば、人類何とかなるんじゃね?」
と思った可能性もありますが(私は思いました)、そんな打算的なナウシカは嫌です
>この後のナウシカら人類は、ほぼ確実に滅亡しているであろう
とありますが、作品中には清浄の世界で
鳥(おそらく遺伝子組み換えではない)が飛んでいる描写などもあり
「いつかは人類も……」と楽観的な解釈もできます
ナウシカはそこに掛けたのでしょう
人様の作った安全そうなレールの上を
人様の作った安全そうなダイヤで運行する
これは果たして生きるという事なのか
種として自らの滅びを招いたのなら
種としてそれを全うしたい
攻略本を見ず 裏技に頼らず
全面クリアしたい(←謎!)
そんな感じだと思います
ナウシカは「人間の愚かさ」のみを肯定しているのではなく
「愚かなとこもある人間」を肯定しているのではないでしょうか
だからこそ「愚かなとこもある人間」が悪用する恐れのある
墓所の技術を封印したのでしょう
それに付随して新人類の種も絶滅させてしまってるわけですが
>人間は古来から他生命を捕食・犠牲にして生きてきており、すでに「業」を抱えている。
のであればしかたがなかったのかもしれません
ナウシカ自身がその「業」に対して後悔しているシーンも多く見受けられますので
>それに気付かないふりをして
という事はないと思います
(別の漫画で恐縮ですが「寄生獣10」の後藤vs新一でも語られるテーマ)
ちなみにナウシカが
「途中で会ったあの庭のヒドラに頼み込めば、人類何とかなるんじゃね?」
と思った可能性もありますが(私は思いました)、そんな打算的なナウシカは嫌です
>kzkさん
コメントありがとうございます。私も本作を読んだのがかなり昔なので、記憶違いがあるかもしれません。その場合はご容赦願います(^^;
おっしゃる通り、人類の愚かさを生物工学的処置で矯正すること自体が傲慢であり、愚かさだとも思います。しかしそれ以外に現実的な解が本作で描かれていないのも事実ではないかと考えます。
また確かに、生きることを「進歩性・賢明さ」と言うことも可能かもしれません。たとえ旧人類によって作り出されたナウシカら人類、粘菌、王蟲であろうとも、生きることは尊いということなのでしょう。
しかし、生きることの尊さを説くのであれば、同じく旧人類によって作られた新人類にも、生きる権利はあったと思うのです。結果としてはナウシカによって滅ぼされてしまいましたが。彼らの生きる意志は否定するというのでは、ただのエゴのように私には感じました。
ともあれ、こうやって様々な意見が出てくるぐらいよくできた作品なのでしょうね。真摯なご意見、ありがとうございました。
コメントありがとうございます。私も本作を読んだのがかなり昔なので、記憶違いがあるかもしれません。その場合はご容赦願います(^^;
おっしゃる通り、人類の愚かさを生物工学的処置で矯正すること自体が傲慢であり、愚かさだとも思います。しかしそれ以外に現実的な解が本作で描かれていないのも事実ではないかと考えます。
また確かに、生きることを「進歩性・賢明さ」と言うことも可能かもしれません。たとえ旧人類によって作り出されたナウシカら人類、粘菌、王蟲であろうとも、生きることは尊いということなのでしょう。
しかし、生きることの尊さを説くのであれば、同じく旧人類によって作られた新人類にも、生きる権利はあったと思うのです。結果としてはナウシカによって滅ぼされてしまいましたが。彼らの生きる意志は否定するというのでは、ただのエゴのように私には感じました。
ともあれ、こうやって様々な意見が出てくるぐらいよくできた作品なのでしょうね。真摯なご意見、ありがとうございました。
こんにちは,はじめまして。
このちょっと挑発的なタイトルに誘われてきました。
私もナウシカ漫画版は好きで,最終巻が出た時の興奮は今でも覚えています。
その最終巻についてなるほど誠実で責任のあるご意見だとは思うのですが,私の印象ではナウシカの主張はむしろ逆で,だいたい下記のような論旨ではなかったかと。
人類の愚かさを生物工学的処置で矯正することが可能だと云う墓所の主の主張それ自体がまさに「人類の愚かさ」である。
また,このままでは人類は滅亡するに違いないという運命論的な考え方は墓所の主の傲慢であり,生命に対する侮りではないか。
生命にとって生きることは「進歩性・賢明さ」そのものであり,王蟲や粘菌の行動にさえその「進歩性・賢明さ」がみられる。その生命の持つ絶えず変化し,よりよく生きようとする力は人間にも予め備わっているはずである。私はそれを信じているし,何より生きる強い意志がある。
うろ覚えなので間違っていたらすみません。この機会に久しぶりに読み返してみようと思います。ありがとうございました。
このちょっと挑発的なタイトルに誘われてきました。
私もナウシカ漫画版は好きで,最終巻が出た時の興奮は今でも覚えています。
その最終巻についてなるほど誠実で責任のあるご意見だとは思うのですが,私の印象ではナウシカの主張はむしろ逆で,だいたい下記のような論旨ではなかったかと。
人類の愚かさを生物工学的処置で矯正することが可能だと云う墓所の主の主張それ自体がまさに「人類の愚かさ」である。
また,このままでは人類は滅亡するに違いないという運命論的な考え方は墓所の主の傲慢であり,生命に対する侮りではないか。
生命にとって生きることは「進歩性・賢明さ」そのものであり,王蟲や粘菌の行動にさえその「進歩性・賢明さ」がみられる。その生命の持つ絶えず変化し,よりよく生きようとする力は人間にも予め備わっているはずである。私はそれを信じているし,何より生きる強い意志がある。
うろ覚えなので間違っていたらすみません。この機会に久しぶりに読み返してみようと思います。ありがとうございました。
>nisikunさん
コメントありがとうございます。恐縮です!
私もこのマンガはすごく好きだった覚えがあります。だからこそ、最後で「!?!?」となってしまいました(笑)
一見きれいな結末に見えますが、私にはとても不自然な印象を受けたのです。自然から見てではなく、人類から見て不自然過ぎます。
私の拙い文章をご覧頂き、感想まで下さってありがとうございました!
コメントありがとうございます。恐縮です!
私もこのマンガはすごく好きだった覚えがあります。だからこそ、最後で「!?!?」となってしまいました(笑)
一見きれいな結末に見えますが、私にはとても不自然な印象を受けたのです。自然から見てではなく、人類から見て不自然過ぎます。
私の拙い文章をご覧頂き、感想まで下さってありがとうございました!
ブログの一覧からやってきました。
非常に激しく同感します。私は、中学生の頃ナウシカの劇場版を観て、漫画を読みました。
凄く好きな漫画ですが、何だか釈然としない部分があったのは腐敗の中で生きるしかないという諦世感が背景にあるからだったのですかね。
いや、賢明な方の分析を読ませて頂き、参考になりました。
非常に激しく同感します。私は、中学生の頃ナウシカの劇場版を観て、漫画を読みました。
凄く好きな漫画ですが、何だか釈然としない部分があったのは腐敗の中で生きるしかないという諦世感が背景にあるからだったのですかね。
いや、賢明な方の分析を読ませて頂き、参考になりました。
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ナウシカがそうなるのは
風の谷のナウシカの下らなさ宮崎駿という人は基本的に、楽観主義的ロマンチシズムの人だからそう感じるのでしょう。立脚する主義が異なるのですから、結論に納得できるはずがありません。ただ、本人の主張を的確、明確に、
